7/17(日)聖霊降臨節第7主日

招  詞  詩編118:1 

交読詩編 92:1-16            

聖  書 エレミヤ書23:30-32 (旧1221p)

     マルコ福音書8:14-21(新76p)

説  教 「イエスの裂かれたパン」

         川浦弥生牧師  

讃 美 歌 26.201.54.405.92

<ことば> 福音書などでは、パン種が「罪の象徴」として扱われる場合が結構あります。今日の個所以外には、たとえば、マタイ伝福音書 16:11には、わたしが言ったのは、パンについてではないことを、どうして悟らないのか。ただ、パリサイ人とサドカイ人とのパン種を警戒しなさい」とあります。「パン種」が、「謀略」や「悪い計画」のようなことを示す、聖書における隠語、符牒、のようなものであることがわかります。パン種は知らない間に膨らんでいく内面的な腐敗のたとえとされていました。さらに、パン種の入ったパンは、先ほど「緊張感のない状態」を表していたとお話ししましたが、この時の弟子たちの様子がまさにそのように思えます。イエスはファリサイ派とヘロデを名指しして、気をつけなさいと伝えたにもかかわらず、それを聞き飛ばして、まったく違うことを論じ合っています。ファリサイ派とヘロデ、すなわち宗教的正統派の指導者と政治的権力を持つ者は保身、既得権によって結びつき、イエスの前に大きな権力となって立ち、人々の情緒的な混乱に乗じて、十字架刑を決定していきます。教会と言う群れが、人間の魂にかかわることの責任を思うと、キリスト者としてどうしたらよいかを考えなければなりません。健やかな信仰とはどういうものかを、本当はいつも問われているのでしょう。