6/19(日)聖霊降臨節第3主日
招  詞  詩編95:1
交読詩編  111:1-10
聖  書  歴代誌下14:1-6
      使徒言行録4:1-14

説  教 「何によっていやされたか」

         川浦弥生 牧師
讃 美 歌   26(1).402(1,4).404(1,3).448(1,4).92(1)

<ことば> ペンテコステのあと、ペテロを初めとする信者たちは語る群れへと成長させられました。生まれながらに足の不自由な男を癒したあと、キリストを信ずる群れの代表としてペトロが民衆に話をしていると、祭司長たち、神殿守衛長、サドカイ派の人々か近づいてきました。サドカイ派は、律法について厳格なファリサイ派とは趣がだいぶ違う人たちです。この時ペトロは「イエスに起こった死者の中からの復活」について教えていました。サドカイ派はユダヤ教の神殿祭司と貴族階級に属する人たちでローマ帝国と近く、死人の復活や天使や霊の存在を否定していました。民の生活の中で教えるファリサイ派とは異なり、いわば権力を持つ階級ですから、現在の秩序が乱されることを危惧していました。復活とは観念的な感動的な出来事ではありません。ヘロデやポンテオ・ピラトや宗教的指導者層がイエスを十字架にかけたにもかかわらず、神はそれを決してお許しにはならなかったということであり、神が罪人である私たちとともにおられるイエスを正義であるとお認めになったという真理です。私たちは、そこに神の審判をみているのです。だから、彼らはペトロの言葉にいらだち、口をふさごうと捉えて牢に入れました。テモテへの手紙二2:9はこう言います。「イエス・キリストのことを思い起しなさい。わたしの宣べ伝える福音によれば、この方は、ダビデの子孫で、死者の中から復活されたのです。この福音のためにわたしは苦しみを受け、ついに犯罪人のように鎖につながれています。しかし、神の言葉はつながれていません」