2022年4月24日 復活節第2主日
招 詞 詩編118:23-24
交読詩編 146:1-10
聖 書 詩編75:1-11
ヨハネ福音書20:1-18
説 教 「いのちの再生」
川浦弥生牧師
讃美歌 26.333.432.92
<ことば> イエスの十字架による処刑の後、弟子たちはまだエルサレムから動くことができませんでした。そして、ユダヤ人たちを恐れて、家の戸に鍵をかけていました。誰とも会わない、誰とも話をしない、外へも出ていかない、そんな生活をしていました。弟子たちのところへ知らせに行ったことからすると、イエスや弟子たちとともに行動していた女性たちはそうではなかったわけです。それぞれに、思いが乱れるような状態だったのでしょう。ペトロは三度、イエスを「知らない」と言ってから、イエスが「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないというだろう」とおっしゃたことを思い出して号泣していました。自分の情けなさをいやというほど知らされました。過去を悔やみ、もうこれからのことを考えることさえできなかったのでしょう。イエスの「神の国は近い」という言葉に希望を託して、地方のガリラヤからエルサレムまで歩みをともにしてきた者たちにとっては、混乱と挫折でした。圧倒的多数者たちの中に、取り残された圧倒的少数者です。オオカミのなかの羊とはこのことだったのでしょうか。そのような恐れと暗闇の中で、彼らのところにイエスが真ん中に立ち「あなたがたに平安があるように」と言われました。なにかさらりと記されていますが、弟子たちは鍵をかけた家の中で、大きなたたかいをしたのだと思えます。彼らが見たのは幻だったのでしょうか。彼らは暗闇の中でもがきながら、必死でイエスの残酷な刑死の意味を神に問い続けたに違いありません。彼らが閉ざした家で、なにを体験したのかを考えたいと思います。