2022年3月20日 復活前第4主日・受難節第3主日

招   詞  詩編 34:2-4 

交読詩編 33:12-22

聖  書 イザヤ書2:1-5

       マルコ福音書8:27-33

説  教  「人の子のゆく先」

讃美歌* 26(1)、377(1)、483(1)、 92

<ことば>

イエスの十字架への歩みは続いています。人々はこの方が誰であるかについて様々な憶測を話し合っていました。それは弟子たちの耳にも入ってきていました。「人々は私のことを何者だと言っているか」と問われて「洗礼者ヨハネ、エリヤ、預言者の一人だ」という声を伝えました。すると、イエスは「それでは、あなたがたはわわたしを何者だというのか」と尋ねられました。ペトロが「あなたはメシアです」と答えると、イエスは「ご自分のことを誰にも話さないようにと弟子たちを戒められ」ました。この戒めるという単語は33節の「叱った」という単語と同じで、かなりきつい口調でしかりつけるという意味の言葉です。メシアとして告白したにもかかわらず、なぜ、イエスがそれほどきつく𠮟りつけるのか、私たちにはいまひとつ理由がわからないのではないでしょうか。洗礼者ヨハネ、エリヤ、預言者というのは、どれもユダヤ教の世界では最高から二番目の存在です。ですが、実際には人々からベルゼブルに取りつかれているとか、悪霊の頭だとか言われていました。ペテロもそれを知っていたはずです。そうすると、ペトロは現実をありのままに見て言ったのではなくて、そうであってほしいという姿を言葉にしたのだと考えることができます。人間は自分の期待を人に投影してしまいます。しかし、自分の期待とは何なのでしょうか。それは自分がこれまで経験した、知っている狭い世界の中にあるものにすぎません。イエスが私たちにお示しになるのは、新しい視野,視点、新しい言葉、新しい行動によるいのちの回復です。