聖霊降臨節第13主日礼拝  8月15日(日)10:30~

聖書朗読  ゼカリヤ書8:16-17 (旧1488p)
      マタイ福音書10:16-25(新18p)

讃美歌 26番、510番(1,4)  ―主よ、終わりまで―

説 教 「人の子は来る」   川浦弥生牧師

 

※2020年3月からコロナ感染症予防のために礼拝のプログラムを縮小しています。

ことば

今回の聖書箇所では「わたしはあなたがたを遣わす」という言葉から始まりました。イエスさまは繰り返し、繰り返し「行け」と仰って、私たちをここから世へ派遣されているのだと思わされました。しかし、それはオオカミの群れに羊を送り込むようなものだというのです。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさいという言葉が続きます。そして、神の正義を伝えた時には大変な迫害を受けることが語られます。社会的な制裁を受け、家族からも殺される可能性があり、すべての人に憎まれるような人生になります。家族から殺されるとかすべての人から憎まれるとか言われると、たいていの人は恐れで気持ちがへこんでしまいます。最期まで堪え忍べというのは、とても広い意味あいの言葉だと思えます。この世の最期の日にイエスさまが来るまで、とにかく生き延びなさい、逃げてもいい、イエスさまが来ることを待ちなさいということです。神さまは人間が神さまを愛し、互いに愛し合うようにと創られました。蛇のような賢さと鳩のような魂の清さでもって、この世の艱難を生き抜くことを私たちに教え、逃れる町を準備してくださっています。もし、今いる場所で生きられないと思ったのなら、逃げていい、私はどこへ行ってもあなたと共にいる、語るべき証の言葉も与えると仰っています。逃げる場所がどこにもないような社会にしてはいけないのです。私たちの罪をイエスさまがすべて負って、贖って救ってくださったからです。なぜ負ってくださったのか、それは愛ゆえです。私たちがたとえ、どんな敵意にさらされていたとしても、憎しみに心を奪われないように、愛を忘れないようにと仰っています。キリストが来られる最期の日まで苦労は続きますが、互いに愛と希望をもって過ごしましょう。