招 詞 詩編98:1
交読詩編 36:6-13
聖 書 出エジプト記14:19-25 (旧117 p)
ルカ福音書2:41-52 (新105p)
説 教 「イエスがいない」
川浦弥生牧師
讃 美 歌* 26、280、271、92(1節)
<ことば> ルカ福音書の特徴は、シュバイツァーの言葉によると「イエスの生涯を描くとき、イエスがほかの人々の人生にできるだけ密着させて、それを描いているという点である」と述べられています。ですから2章40節と52節はとても大切な言葉なのです。「幼子はたくましく知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。」「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人に愛された」という言葉で、イエスの福音とはどういうものかを伝えようとしています。さて、イエスの両親は毎年過ぎ越しの祭りというイスラエルにとって、大切な行事のためにエルサレムに旅をしました。祭りに行くこと、それは過ぎ越しの意味をちゃんと味わって、神に感謝するために行くのですが、私たちは恒例行事になると慣れすぎて、本来の意味を忘れてしまうものです。祭りの期間が終わって、ほっとしたのか、両親はイエスがいないことに気づかずに帰路につきました。クリスマスの話のあとに、このエピソードをもってきたルカの意図がわかるような気がします。お祭りにうかれたイエスの両親の話ではありませんよ、と言われているような気がしませんか。私たちもイエスさまを忘れて、どこかに置き去りにしているのではないかしらと、大丈夫かしら、と思わされました。人間の歴史では、教会がイエスさまを忘れることがあるのです。年の初めにあたり、私たちはキリスト者であることにあぐらをかいてしまっていないだろうか、イエスを置き去りにしていないかどうか、自分の思いの中にイエスを閉じ込めようとしていないかどうかを振り返り、イエスの不在に気づいたら、方向転換して引き返し、神の大きな世界の真ん中にいるイエスを探し出しましょう。